先生紹介

新宿足改善センター 院長 玉川 優真

院長 玉川 優真
出身地
京都府京都市
好きな食べ物
お肉、サーモン
血液型
O型
星座
かに座
骨盤ネーム
骨盤DJ

ストーリー

幼少期

幼少期

私は京都のお酒で有名な伏見区で生まれました。とは言っても周りには田んぼや畑が多い町で幼少期は外で遊ぶことが多く公園や広場で野球やサッカーなど活発に外で遊ぶことが多かったです。ただ人見知りが激しく周りの友達がコミュニケーションを取ってくれていたことを覚えています。

今でも地元の友達は自分がこの仕事をしていることにびっくりしているらしいです(笑)
ただ周りの環境に恵まれて今の自分が居ると感謝しています。

学生時代

学生時代

小学生の頃サッカーを始め、高校卒業まで続けました。ただ、運動神経は普通で、正直センスはあまりなかったかなと思います。そんな私ですが、運良く試合に出させて頂くことが多く、あまり練習と言う練習をしてきませんでした。

しかし、中学生2年生の頃、先輩の最後の大会で、ユニフォームをもらえず悔しい想いをして、初めて努力を積み重ねることの大切さを知りました。

その後、中学最後の大会では頑張った甲斐もあってスタメンに選ばれ、京都市でベスト4に入ることができました。この出来事が私のスポーツ人生で一番の思い出になったと共に、このとき学んだ“コツコツ努力して積み上げる事が大事”ということが、今の仕事に生かされていると思います。

ただ、足を使うスポーツなので足の怪我や疲労に悩むことは多かったです。一時はプレーが出来ない期間もありました。

だからこそサッカーや身体のことに携わる仕事をしたいと思い、スポーツトレーナーの専門学校に入学しました。

専門学校時代

元々頭は良くない方で他の人よりも勉強しないと覚えられないので、専門学校で解剖学や運動生理学などの座学は、心が折れそうになりました。しかし、実習やトレーニングの授業を受けているうちに必要性を感じ、どれだけ追試になっても最後まで諦めずに気合で勉強を続け、今となっては諦めずに努力して、卒業することができて本当に良かったと思っています。

その後

その後その後

パーソナルトレーナーやインストラクターという選択肢も就職にありましたが自分は人の体に携わる仕事をしたいと思い、治療家という仕事を選びました。
初めての就職先は温泉施設のマッサージ屋さんでした。「気持ち良かった」と言ってもらえる喜びとやりがいを感じていましたが、それと同時にもっと身体は良くならないのか?と考えていました。

そこで早い段階で気持ち良いだけでなく、痛みを取り除いたり、関節を整えたりする整体の仕事に転職しました。
初めは患者さんに対して身体の説明をする事に苦手意識がありましたが、当時の先輩方に練習を手伝って頂き、努力を続けた結果、大阪の店で副院長を任せてもらえるようにまでなりました。
しかし副院長時代にも、どうしても改善できない患者さんがいて技術もまだ先があるのではないか?と思っていました。

捻挫やO脚、外反母趾など、どうしたら改善できるのだろう?と、毎日試行錯誤しながら施術に望みましたが、なかなか思うような理想の結果が出せず、「もっと技術を磨きたい!もっと成長したい!」という思いで関西を飛び出す決心をし、整体で有名な東京の骨盤王国に入社しました。(株)骨盤王国に入社してからは新たな発見が多く、今も日々勉強と、精進しています。

その中でも、『悩みがある部位以外のところが悪く、そこがきっかけにまた足の痛みやO脚などが再発してしまう』
という骨盤王国で学んだことが、自分の中では一番の驚きでした。今まで痛い場所の施術をして結果が出ないこともありましたが、この理論で施術を行うことで結果は勿論、どこに行っても良くならなかった患者さんに説明しても納得して頂けています。

大阪にいた頃にそれに気付いていれば・・・と悔しい部分もありますが、今では有り難いことに「もっと早く先生に会いたかった!」「何をしても全く痛くないよ!」との声をお客様から多く頂くようになったので、勇気を出して新たな一歩を踏み出して本当に良かったと思います。

自分でも足の痛みなど足の不調に悩むことが多かったですが、一緒に悩み、一緒に解決して『先生に出会えて良かった』と言ってもらえるように精一杯努力します!是非初めに新宿足改善センターにお越しください。なんとかしてみせます!

趣味

音楽

趣味

学生時代少し音楽活動をしていて毎週ライブハウスに足を運ぶ時もありました。
その頃からHIP-HOPにハマりました。とくにMCバトルは生で見ると迫力や凄みが感じとれて凄く好きです。
ロックフェスも好きで地元で開催されるフェスや関西のフェスにはよく行って弾けていました(笑)

お笑い

笑うことが好きでお笑い番組を見たりラジオを聴いたりしています。
関西出身もあり漫才を見ることが多く、ラジオではニッポン放送を聞くことが多いです。
自身の笑いのセンスはあまりないかもしれません(笑)

新宿足改善センター 副院長 橋本 輝(足の専門家)

副院長 橋本 輝
趣味
日本ドラマ鑑賞、スポーツ全般
好きな食べ物
お寿司、スイーツ全般
血液型
B型
動物占い
コアラ
国家資格
柔道整復師、保健体育教諭、パーソナルトレーナー
  • 柔道整復師免許証

ストーリー

幼少期

幼少期

葉県鴨川市という海と山に囲まれた自然豊かな町で育ちました。小さな頃から体を動かすのが大好きで、砂浜を走り回ったり鬼ごっこをしたりして毎日のように外で遊んでいました。小学校では器械体操、水泳、陸上と選抜選手に選ばれ、大会では優秀賞を頂くなど、入賞することもありました。その経験が、今でも自信の源になっているように感じます。

モノを作ったり絵を描いたりするのも好きで、夢中になって取り組み色々な賞をとれたのも嬉しかったです。歌を唄ったり、楽器を演奏したりすることも好きで、合唱コンクールでソロパートが貰えたことは今でもとてもいい思い出です。体育と図工と音楽が大好き!そんな右脳系な子供でした(笑)

青年期

青年期青年期

中学では、日々野球部の練習に励み県大会に出場することができました。また生徒会や応援団長を務め、リーダーシップを学びました。この頃の経験が、人を育て伸ばし応援するといった今の仕事にも繋がっていると思います。

高校では、硬式テニスで県大会出場できたことや文化祭でバンドのボーカルを務めたことがとても良い経験になりました。

高校を卒業した後、スポーツトレーナーの専門学校に進み身体や運動の基礎を学び、鹿児島の国立体育大学に編入しました。そこでは保健体育の教員免許を取得し、身体機能を向上させるトレーニングについての研究で評価を受けました。知らない土地での生活は大変でしたが、とても新鮮でした。

大学卒業後、柔道整復師の専門学校に進学し、3年間で身体を整復することを学び、無事国家資格を取得することができました。

柔道整復師になったきっかけ・想い

柔道整復師になったきっかけ・想い

中学で介護実習中に階段を踏み外して足首を酷く捻挫しました。しばらくしても歩くだけでズキズキ痛み、「このまま一生歩けないんじゃないか?」と、とても不安でした。その時に、接骨院の先生に施術して頂き、また歩き回れるようになりました。柔道整復師としての腕の凄さと人間の回復力にその時はとても驚きました。

また、高校でやっていた硬式テニスで股関節を痛めてしまい、大学生になっても股関節周りの違和感に悩まされていました。なので、「この違和感とは一生付き合っていくものなんだなぁ」と諦めていました。そんな時!偶然出会ったカイロプラクターによる数回の施術で、私の股関節の違和感は無くなりました。完全に諦めていたので、本当に衝撃でした。将来は保健体育の先生になろうと思っていた私の人生はこの時変わりました。「素晴らしい!!」私が足首や股関節の悩みから救われたのと同じように、足の悩みを持つ人を救いたい!そう想い、柔道整復師になることを決意しました。

初めて勤めた整骨院では、ギックリ腰や寝違えなど体を痛めて困っている方に施術をするとても貴重な時間を過ごしました。しかし、痛みのある箇所を部分的に施術して改善する方法に限界を感じていました。

クライアントがお困りのことを早期根本改善したいと思い、柔道整復師としてより成長できる環境を求め続けた結果、新宿足改善センターの『痛みを早期改善する為には違和感がある部分だけでなく“根本原因を把握”して“体全体のバランス”を整え改善する』という理念に強く惹かれ入社しました。

その後、研修や練習を重ね今まで見れていなかった部分を見、感じられてなかったものを感じるようになった結果、これまでは改善することが難しかった症状でも良い方向に導けるようになりました。そして、日々沢山の方に施術を行う中で、「先生!おかげさまで諦めていた足の痛みが本当に良くなりました!」「正直こんなに良くなるとは思っていませんでした!」と言った喜びの声を頂けるようになりました。私自身もとても嬉しく思います。

私は、クライアントが困っていたら1日でも早く問題を解決して、その方の不安を取り除ける施術家でありたい。そのために、クライアントには毎回真剣に向き合い、日々の学びや技術練習は欠かしません。

これまで積み重ねてきた経験を活かし、皆様がお困りのことが解決され、明るい笑顔になって頂くために全力を尽くします。

足のお悩みは安心して私達にお任せ下さい!